
本日、4月28日で市議会議員の任期満了となりました。
議員在籍中の要望事項で1つだけ残っていた、西の浜の高潮防潮堤の手すりも本日設置され安堵しております。
4期16年間という長きにわたって大変お世話になりました。
心より御礼申し上げます。
明日からは一市民となりますが、放電した後にしっかりと充電致します。
感謝・感謝・感謝・・・ありがとうございました。

市議会議員の任期は4月28日ですが、市長・市議会議員選挙を終えてから看板の撤去をしようという事で、本日市内にある12枚の看板全てを撤去致しました。
16年間設置した看板でかなり老朽化しておりました。
「角田訓也」の看板は三笠博通氏の描かれた絵の中に残るだけとなりました。
長い間大変お世話になり、心より御礼申し上げます。

広報広聴委員会で5月1日発行の議会だよりの編集について協議。
これで今期中に予定されている委員会はすべて終了。
4月8日告示の選挙戦に向けて、私以外の委員は完全に選挙モードです。
皆さんのご検討をお祈り申し上げます。
4月28日までが任期ですので、それまでは市議会議員として全うします。

笠岡総合体育館で記念式典。
式典の1部は来賓の挨拶が多過ぎたのではないかと思います。
2部では4月1日から設置された市内24地区のまちづくり協議会の方々が登壇し、全員の合唱の後に新成人の挨拶で締めくくりました。
新しい笠岡市のスタートです。

まずは、特別委員会の報告で最後に議会基本条例特別委員会から最終報告を行いました。
次に付託された議案・予算審査についての委員会報告・質疑・党論・採決。
そして付託された請願についての報告。
継続審査が3件ありましたが、私が紹介議員をした神島保育所の件について「異議あり」と申し上げ、委員長から継続審査の経過を報告。その後起立採決で委員会決定の「継続審議」が賛成多数となり、出番なし。
最後に退任する議員5名、退職する部長5名、勇退する市長の挨拶。
私は議員の4番目に退任の挨拶を行いました。
退任の挨拶
笠岡で生まれ育ち、大学時代の4年間の東京暮らしを終え、社会人として再び笠岡へ戻り、数年後に笠岡青年会議所に入会致しました。
青年会議所の15年間「まちづくり」に対して熱い想いを抱き、その延長として笠岡のまちづくりに関わりを持ちたいと平成8年4月に初当選させて戴きました。
思い起こせば平成8年6月定例会で「金崎浜田線の県道より西側である西本町・正寿場地区の道路・下水道・水路等の総合的な整備計画について」初めての質問を行って以降、監査委員の2年間と副議長の1年間を除いて、計52回の質問を行って参りました。
時には熱くなり過ぎで、議場で大きな声になったり机をたたいたりという事もあったりして、今になっては懐かしく蘇って参ります。
16年間の議員生活では、森田思軒の顕彰、竹喬美術館新館建設事業という文化面、指定ごみ袋・分別収集等の環境問題、水を巡る緑の回廊整備、農道空港の多面的な活用等の笠岡の魅力を高める施策等の提言、また情報化の推進、定住促進、市民病院の在り方、小中学校連携教育の推進、広域連携の推進、最終処分場の今後について等様々な分野で質問させて戴きました。
その中で一番心に残るのは、やはり線引きの廃止の問題だったと思います。
平成13年3月定例会で線引きの廃止を提言し、その後庁内にプロジェクトチームが設置され本格的な協議が始まりました。
議会でも有志による勉強会を重ね、その勉強会が土地利用計画調査特別委員会となり、線引きの廃止が現実のものとなりました。
この線引きの廃止により、笠岡の土地利用も大きく変革しており、その効果は今後ますます目に見えてくると思います。
また自治基本条例の議会選出の策定委員も務めさせて戴きました。
その経験からこの度の議会基本条例・政治倫理条例の制定に向けて、「全議員の総意」という基本的な部分を学ばさせて戴いたと思っております。
この議会基本条例・政治倫理条例が4月から施行されることにより、笠岡市議会も大きく変革しなければなりません。
私自身この度の市議会議員選挙に向けて、リーフレットの原稿は早い段階で準備しており、いつでも印刷できる状態でしたが、お正月を明けて以降、普段は気丈な父親が病を気にしてか気弱になり、なかなか目を離す事ができず、本当に悩みに悩み続けました。
今までご支援戴いた方々、また同僚議員からも励ましを戴きましたが、最終的な決断は、家族に対してできる事をしなければならない時がある。それが今なのではないかという事でした。
これから変革しようとする笠岡市議会に対して、退任するというのは大変心苦しく感じておりますが、是非とも新しい笠岡市議会として大きく変革する事を心から願っております。
16年間大変お世話になりました。
心より御礼申し上げ退任のご挨拶に代えさせて戴きます。
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